ベーシックインカムを卒論のテーマにしたい場合。
ベーシックインカムを卒論のテーマにする場合は、まずはベーシックインカムが何かを理解する必要があります。
そこで、ベーシックインカムについてまとめてみることにしましょう。
まず、ベーシックインカムとは、なんなのかについて説明します。
ベーシックインカムとは、国民に一定のお金を無償で渡す制度です。
ベーシックインカムの頭文字をとって「BI(ビーアイ)」と略されることもあります。
なぜ、このような制度が必要なのかは、さまざまな人たちが論議しています。
仕事をしていないでお金が給付されることに反対の人もいます。
しかし、現在の社会にとって、誰もが働くことができる社会ではなくなってきています。
昔なら、同じことを同じように何も考えずに、お金を得ることができました。
現在は、単純作業は機械がやる仕事だとみる人たちもいます。
そういうこともあって、誰もが働ける環境にあるわけではないのです。
世の中には働くのが苦手な人がある程度います。
そうした人たちに無理に働いてもらう必要があるのでしょうか。
働くのが苦手な人はいじめに遭うこともあります。
そして、周りとの能力差のせいで、自分に自信を持てなくなるのです。
こうした状況が続くと、雇っている側も雇われている側も両方に不利益になってしまいます。
ベーシックインカムは世の中で上手くやっていけない人たちを助けることができます。
確かに、20歳以上の国民は基本的には働いてもらうという決まりがあります。
仕事をやることが当たり前だという空気もあります。
ベーシックインカムはそういう、固定観念を打ち破ろうとしています。
国からある一定の給付を受けて、自分はやりたいことをやっていれば、それでいいのです。
やりたいことはいろいろあるでしょう。
音楽・イラスト・マンガ・水彩画・プログラミングなど、自分の好きなことをやればいいのです。
その反面、好きなことでお金を得るのは難しいです。
ベーシックインカムが導入されれば、好きなことで生活費を稼がなければならないという気持ちをなくしてくれます。
そして、好きなことで十分、力がついて仕事になるという時に、仕事にすればいいのです。
日本社会には、「働きたくない人は食べるな」という風潮があります。
有名大学を卒業した有能な人が自分の受かった会社に合わず、自死してしまうニュースを見ることがあります。
人生は何歳になっても、やり直しができていいはずです。
たとえ、どんなに大きな失敗をしたとしても、再起できるはずです。
再起するきっかけは人それぞれです。
ベーシックインカムはその手助けになることもあるでしょう。
人間は働くべきだという考えは、よくわかります。
自分が真面目に仕事をしているのに、この人は何もしていないと他人を裁くこともあると思います。
自分だけ仕事をしていたらバカらしく感じることもあるかもしれません。
でも、現在の社会は先にもみてきたように、誰でも仕事ができる時代ではないのです。
ベーシックインカムは弱い人を助けることができます。
チームで働くときに、必ずそのチーム内には、チームをかき乱す人がいるものです。
そういうチームをかき乱す人は、特定の人に必要以上に嫌がらせをします。
そして、その人が会社を辞めると、別の人をターゲットにするのです。
これでは、会社が上手くいきません。
この状態が続くと、チームのメンバーは、自分がターゲットにならないように振る舞うようになるのです。
会社は、収益を出して、それをメンバーに給与として与えているにすぎません。
収益を上げることに全力投球しなければならないのに、チーム内でのバランスを一番に考えていたら、本当に良い仕事はできません。
このような事例を考えると、一人でできる仕事、あるいは、二人から三人くらいでできる仕事が価値を出すことができると予想できます。
ただし、少人数のチームが社会で上手くやっていくことは難しいです。
今の社会の制度に適応しづらいのです。
それでも、自分のやりたいことで、勝負することができる世の中は面白いと思います。
ベーシックインカムはやりたいことで生きていくことを、強くサポートしてくれます。
やりたいことが上手くいかなくても、基本の給付がありますから、思い切って勝負することができます。
失敗を恐れないで勝負できることは良いことです。
ベーシックインカムは、社会で上手くやっていけない人も、自分のやりたいことをやりたい人も、助けることができます。
時代が変わって、飲食業・サービス業・イベント業などが上手く機能しなくなっています。
失業者が増え、社会でまともに暮らすことのできない人たちが、たくさん出てきています。
そうした人が、別の仕事をやらなければならないとなった時に、すぐに新しい仕事に適応できる人は稀なのではないでしょうか。
資本主義の世界は、人々が自由に行動して、自由に買い物ができることが前提としてあります。
それが、新しい病気とかによって、脅かされるのであるなら、現在の制度にベーシックインカムを導入してもいいのではないかと論争されているのです。
国民の生活を第一にすることは、自分の仲のよい人たちだけよければいいでは通用しません。
巡り巡って、自分に返ってきます。
苦境に立たされている人は、恨むことさえあるかもしれません。
ベーシックインカムは、ミニマムな収入で豊かな暮らしをサポートしてくれます。
自分の身の丈にあった暮らしをすることができれば、それが良いのではないでしょうか。
もちろん、働くことは素晴らしいことです。
働くことによって、自信を持つことができるかもしれません。
しかし、レールからはずれてしまった人や、再起不能な状況におちた人を助けるための、政策として、ベーシックインカムは機能してくれるような気がします。
社会で働いている人の大半の人たちが意味のない仕事をしているという見方もあります。
そういう仕事をしている人は、自分も楽しくないし、周りもどちらかというと迷惑に感じているかもしれません。
人々が本当にやりたいことをやれる社会は、もう近くまでせまっているかもしれないです。
誰もが、全力で物事に取り組むときに新しい力が生まれます。
人からどう思われているかで動くのは辛いことです。
ベーシックインカムがそうした状況を打破できる政策だと期待されています。
こうした内容を卒論のテーマとして盛り込めば、ベーシックインカムを卒論のテーマとして扱うことができるしょう。