オペラを卒論のテーマにする方法。|卒論代行サービス.com

 

オペラを卒論のテーマにする方法。

卒論には、それまでの学生生活で学んだことを文章に溶け込ませ、意味のある時間を送った、成長をした、というひとつの証しになることが求められるでしょう。

ほぼ毎日のように通う学校、どんなに校舎が広くとも、それはある意味で閉ざされた空間です。人間関係も広いようで狭いことが多いでしょう。アルバイトをすればそこで接する人も含まれますが、大抵は、家族、友人、もしかしたら恋人、担当の先生、部活やサークルの仲間、その人間関係の中で行ったり来たりするのです。毎日同じような人間関係の中を行ったり来たり、その中で毎日起こる似たようで違う出来事、生まれる感情を乗り越えて行きます。それは簡単なことでしょうか。いいえ、恐らく世の中で最も難しい部類に入る事柄です。もしも学生生活でその術を身につけられたなら、これからの人生への成功の鍵をひとつ手に入れたと言っても過言ではありません。

客観的に人を見て、どのように乗り越えていけば良いのか学ぶという方法もあります。オペラの世界は一見壮大なようで、非常に狭い人間関係の中での出来事扱っています。例えば「フィガロの結婚」はどうでしょうか。結婚したい2人、その花嫁に横恋慕する花婿の上司、その奥さん、というように、主にとても狭い世界での出来事を扱っています。しかしそこに沸き起こる感情はどれも激しいものです。もしかすると、狭いがゆえの激しさなのやもしれません。見ている方は滑稽です。やれ誰がコッソリ好きだとか、やれ誰かを策略にはめてぎゃふんと言わせようだとか、蚊帳の外から見る分には自分とは何の関わりもないので楽しいのです。しかし、渦中にいては決してそうではありません。悔しかったり、悲しかったり、怒りに燃えていたり、逆に嬉しくて我を忘れたり、よっぽど意識していない限りじっくり考える暇などありません。ただその感情を乗り越えるだけで必死なのです。

ある人は喜怒哀楽を感じにくいと感じるかもしれません。人間関係の中でもそんなに感情の起伏などない、逆に表情がコロコロ変わったりすぐ笑ったり泣いたりする人を見て、理解できずに悩む人もいるかもしれません。なぜそんなに表現するのかと、自分にもそれを要求されては困ると感じるのかもしれません。これも立派な悩みです。そのような人にとってオペラのような感情がそのまま演者になったような演劇は見るに耐えないかもしれませんが、分析の対象とすることは可能ではないでしょうか。もちろんオペラは芸術的に楽しむものでしょうが、その感情を分析する、という違った角度で見ることだってできるのではないでしょうか。扱われる出来事は非現実的な夢物語だとしても、そこに巡る感情は私たち誰もが感じるものと同じです。愛情、嫉妬、憎しみ、驚き、哀しみ、それを肥大させただけなのです。だから多くの人の共感を呼び、愛される作品となります。誰もが登場人物の気持ちに自分を重ねているのです。だからオペラは感情の教材のようなものです。あれだけ大袈裟なため、良いのです。歌がもたらす効果も素晴らしいものがあるでしょう。感情は言葉にできるものだけではないことが学べます。

自分の感情的な成長や、自分以外の人間の感情を分析する題材としてオペラはとても優れているのです。

また卒論では、社会への貢献度も重視されるでしょう。それをテーマとして扱うことで、現代社会にどんなメリットがあるか、という点です。

現代社会の大きな問題は、感情を表現する方法を学ぶ機会が少ないことです。心の中には確かにある感情があるのに、それを表すふさわしい方法を学んでいないために、人間関係でトラブルが発生します。仮に怒りという感情が心にあっても、私たちは必ずしも大きい声を張り上げたり、拳を振り上げたりする必要はありません。怒りをふさわしく表す方法はあるのです。それを知っているか知らないかで、問題は大きくなったり見えないほど小さくなったりします。一見小さなことに思えるかもしれませんがこれは明らかなる社会問題です。

人間にとって、自分の感情以外に別の感情があることを十分に理解することは、簡単なことではありません。無意識に、自分はこう思うから絶対こうだ、あの人はおかしい、と考えがちです。最近はこの傾向が加速しているように思います。また前にも触れたように感情自体が乏しく、ある感情そのものが理解できないという人も増えています。そうなるとどうして自分の言動に相手が特定の反応するのかは理解できないでしょう。まずは学ぶ必要があります。

他人の感情を100パーセント理解するなど到底無理な話ですが、そのパーセンテージをあげていくことで、多くの誤解が生まれずに済みます。そして赤の他人の感情を察するには、想像力が必要です。想像力、現代人が乏しくなりがちなこの大切なスキルはどうやって伸ばせるでしょうか。大変な課題です。できれば小さいうちから伸ばせれば良いのですが、大人になってから新しい言語を学ぶことが可能なように、少し硬くなった大人の脳も正しい想像力を鍛えることは可能です。

オペラという教材は少し斬新ではないでしょうか。そもそも縁遠い存在だと感じているからこそ、そこから身近で大切なものを学べたときには新鮮さや印象深さを感じるのではないでしょうか。例えば蝶々夫人という有名な作品がありますが、名前だけは聞いたことがあるけど内容は知らないという人も多いのではないでしょうか。15歳という若さで芸者となり、楽観的すぎるほど楽観者のアメリカ軍人に嫁いだ蝶々夫人のお話は、本当に切ないものです。自分の宗教も捨て、親族の怒りも買い、そうまでして勝ち取った愛情に夢中になる蝶々さん、それが儚く散る現実に直面する時の圧倒的な切なさや悲しみ、絶望、当人たちを取り巻く人たちの感情の動きは繊細かつ激しいものがあります。今の現実社会、私たちには思い通りにならないことだらけです。一つの芸術作品が私たちの感じる虚しさ、切なさを肥大化して、美しい歌とともに様々な感情を共感してくれます。実際にはこんな風に寄り添ってくれる芸術作品が多いことに現代人の多くは気付いていないのです。自分とは違う世界にあるものだと決め付けてしまっているのです。

1人1人の感情や想像力を培う教材となる可能性について卒業論文で取り上げるならば、今起きている数々の悲しい事件の根底にも触れることが可能ではないでしょうか。美しい歌は私たちが学ぶことを難しく考えることないようにも助けてくれます。

オペラを卒論の題材にすることは、学校という狭い環境下での成熟を描くにも、社会問題の根底原因へ切り込むにも、斬新かつふさわしい教材だといえます。